『節約』ネイルをやめると心が軽くなった。自分らしさを発見した話し。

何気ない昼下がりだった。

同僚の「ネイルって、結構かかるよねー」という独り言に、私は咄嗟にスマホの電卓を開いた。いや、開いてはいけなかった。開いた瞬間、現実が見えた。

  • ジェルネイル:毎月1回、約9,000円
  • オフ+ケア:地味に1,500円前後
  • 移動と時間:往復1時間+待ち時間

年間約12万円。 しかも、「かわいい〜」と褒めてくれたのは母と猫(たぶん)だけだった。

「固定費の中に美意識が混ざっていた」問題

最初は自分へのご褒美だったネイル。

それがいつしか、歯医者の予約並みに「月イチで行かないと気持ち悪い」存在になっていた。

「ネイルしてないと落ち着かない」──それってもう、趣味じゃなくて義務では? と思ったら、急に重く感じてしまったのだ。

やめたら、すぐ貯金が増えた?いや、そこじゃなかった

最初の月、確かに通帳の残高は少しだけ増えた。でも、それよりも私が強く感じたのは…

「週末の予定が空いた開放感」

「ネイルサロンの予約」という、見えないタスクが消えるだけで、あんなに心が軽くなるなんて思わなかった。

財布より先に、スケジュールと気持ちが整っていったのだ。

やめて最初の1ヶ月、手元が「丸裸」に見えた話

正直に言おう。ネイルをやめた初日、私は自分の手を見て「誰!?」と思った。あまりに素朴で、あまりに生活感がありすぎて、あのキラキラしていた“演出された指先”が恋しくなった。

洗濯物を干すとき、PCのキーボードを打つとき、スーパーで財布から小銭を出すとき──

そのたびに、「今、誰かに見られてるかも…」という謎の恥ずかしさが湧いてきた。

ハンドクリームと甘皮処理に必死になる

気づけば私は、今まで買ってあったけど使い切れなかったハンドクリームを引っ張り出し、指先に塗り込みまくっていた。

ネイルをしていた頃は「プロに任せてた」爪のケア。でも今は、鏡を見ながら甘皮を押し上げ、やすりで整え、「これで素爪もいけるのでは?」という妙なテンションに達する日もあった。

3週間目で気づいた。「誰も見ていない」

でも、3週間も経つとふと気づく。

誰も、私の爪なんて見ていない。

上司も、友人も、彼氏も、宅配便のお兄さんも。

それどころか「今日ネイルしてないね」と指摘してきたのは母ただ一人。「あれ?地味だねぇ」と言われたが、それ以外は、皆ほぼスルーだった。

拍子抜けするような、でも少しホッとするような。自分が気にしすぎてただけだったことに、ようやく気づけた。

ネイルをやめたことで、「人の目を意識しすぎる自分」からも、少しだけ自由になれたのかもしれない。

意外すぎた節約効果と、時間のゆとり

ネイルをやめて、最初に感じたのは「爪が寂しい」という戸惑い。

でも、それを乗り越えた頃から、もっとじわじわと実感したのが「お金と時間の変化」だった。

まず、わかりやすく浮いたお金。毎月ネイル代として使っていた約9,000円が、そっくりそのまま財布に残る。

「浮いたお金」で買ったのは、ネイルじゃなかった

最初の月は、正直何に使うか迷った。でも結局、私は1,200円のハンドパックと、1,800円の良いハンドクリームを買った。

「節約のためにやめたのに、また買い物!?」と思われるかもしれない。

でも、なんだろう。ネイルの装飾ではなく、手の手入れそのものにお金を使っている感じが、妙に気持ちよかった。

「自分の生活に“戻ってきたお金”を、どう使うか選べる」

この感覚が、ネイルをしていたときよりずっと自由だった。

時間もじわじわと、自分のものになっていく

次に気づいたのは、時間の自由さだ。サロンの予約、移動、施術。毎回2〜3時間かかっていたあの時間が、まるごと空く。

その空いた時間で、ちょっと遠回りしてパン屋に寄ったり、読みかけの本をカフェで読んだり──

「時間って、こんなにあったっけ?」と思うほど、心にゆとりができていた。

「ネイルをやめてお金が浮く」なんて、当たり前だと思ってた。でも、実際にはお金以上に自由という副産物が得られた。それが、私にはいちばん大きかった気がする。

周囲の反応は?「やめたこと」に気づいた人の数

ネイルをやめる前、一番の心配は「周りからどう見られるか」だった。

ネイルしてない=手抜きに見えるんじゃないか?
清潔感なく見えるかも?

とビクビクしていた。

でも、現実は──

● 気づいた人、ほぼゼロ。

驚くほど、誰も言わなかった。

会社の同僚も、仲のいい友達も、彼氏も、みんな「ノーネイル」にノーコメント。

唯一、「あれ?今日ネイルないんだね」と言ったのは、母だった。しかもそれも、「爪切った?」レベルの軽い一言。

「自分が思ってるほど、他人は見ていない」

この事実に気づいた瞬間、肩からふっと力が抜けた。

でも、“自然な手元”への評価が変わった

しばらくすると逆に「爪キレイになったね」と言われるようになった。ネイルをやめた代わりに始めたケアの効果が出てきたのだと思う。

  • 手が明るく見える
  • 清潔感がある
  • 「無理してない感」がある

そんなふうに受け取ってもらえるとは思ってなかったから、ちょっと意外で、すごく嬉しかった。

派手な装飾じゃなくても、「手を大切にしてる感」は伝わる。

それがわかってからは、自分の中の美意識の再定義が始まった。

「ネイル=おしゃれ」の呪いを脱いでみたら

ネイルをしていた頃、私の中にはこんな“公式”があった。

ネイルしてる人=ちゃんとしてる、おしゃれ、美意識がある

逆に、ネイルをしてない人=ズボラ、清潔感がない、女を捨ててる──そんな偏見すらあったかもしれない。

でもネイルをやめてしばらく経った今、それらが思い込みだったことに気づく。

「装飾」ではなく「意識」が伝わる

清潔感って、色を塗っているかどうかじゃなかった。

  • 爪が整っている
  • 手が乾燥していない
  • 動作が丁寧である

そういった“所作”の積み重ねの方が、ずっと「ちゃんとしてる感」は出る。

実際、ネイルをやめてからの方が、ハンドケアに気を遣うようになったし、身の回りを整える意識も少しずつ芽生えてきた気がする。

本当に必要だったのは、“褒められる爪”じゃなかった

今だから言えるけど、ネイルをしていた頃の私は、他人の視線と承認欲求にめっぽう弱かった

「ネイル可愛いね」と言われたくて、デザインを変えてみたり、Instagramでポーズを研究したり。でも今、それらが少し苦しかったことに気づいた。

爪を褒められることと、自分が心地よくあることは、イコールじゃなかった。

ネイルをやめたことで、自分の美意識の軸が、ようやく自分の中に戻ってきた気がする。

ちょっと不器用でも、自分で選んだケア。 誰に見せるわけでもないけど、ちゃんと嬉しい。

その感覚が、なんだかとても心地よかった。

まとめ|ネイルをやめても、私はちゃんと“私”だった

ネイルをしていた頃の私は、いつも“誰かに見られている自分”を意識していた。

もちろん、それが悪いことではないし、そうやって自信を持てた時間も大切な思い出だ。

でも、やめてみてわかったのは──「もっと楽な自分でも、私は私だった」という事実。

鏡を見るたび、「今日はこの手で何をしよう?」と考えるようになった。

爪の色ではなく、手が触れるもの、手が生み出すもの、その先の行動に目が向くようになった。

そして何より、『装飾』ではなく『習慣』で整えることの気持ちよさを知った。

節約という目的から始まったこの選択は、気づけば私の中の「美意識」や「価値観」にまで届いていた。

ネイルをやめた私も、ちゃんと素敵だった。 それに気づけたことが、一番の節約かもしれない。

もし今、「やめようか、どうしようか」と迷っている人がいたら──

一度、自分の“すっぴんの手”と、ちゃんと向き合ってみるのも、悪くない。

きっとそこには、今まで気づかなかったほんとの自分らしさがあるから。

コメント

テキストのコピーはできません。